「自主制作アニメの醍醐味」の掘り下げ

 こんにちは。Cと名乗る不審者です。

 

 この文章はあくまで自分の考えを文章化しただけのものであって、他の考えを否定したり批判したりする意図は一切ありません。

 

0.この記事を読む前に

 この記事は前回の「自主制作アニメについて考えていること」という記事の第二項「自主制作アニメの醍醐味」を掘り下げるだけの記事です。前回の記事を読んでいない方はそちらを先に読むことをオススメします。

 

1.言葉・フレーズと印象

 あなたは、「空を飛ぶ」という言葉にどんな印象を思い浮かべますか。希望や未来、夢といったイメージでしょうか。多くの人はこれらのような前向きな印象を持つでしょう。言い換えると、「空を飛ぶ」というフレーズは基本的にポジティブな意味として捉えられるということです。

 ここで一つ、ある曲の歌詞を挙げます。

 

  空を飛ぼうなんて 悲しい話を いつまで考えているのさ

 

 中島みゆき作詞の「この空を飛べたら」という曲の冒頭の歌詞です。この歌詞を見ると、決して「空を飛ぶ」というのをポジティブなイメージではなく、叶わないもの、虚しいものといったネガティブなイメージで捉えています。悲しい話と直接的に綴っていますし、歌詞を見ればわかりますが、この「叶わないこと」を「失ったあの人が返ってくること」と結びつけて綴っています。

 自主制作アニメは「この空を飛べたら」の歌詞のように、多くの人がある言葉や概念について持っている印象とは異なる演出や展開にしやすい点があります。

 

2.自主制作アニメにおいて

 前回の記事で述べたように、自主制作アニメは制作人数が少ないので、作者が伝えたいことや描きたいことが薄まりにくい傾向があります。それゆえ、万人受けしないような演出や展開でも作者がOKサインを出せば基本的には通ることになります。

 例えば、「怪物」「モンスター」「化け物」「人外」と呼称されるような存在は、人間と対峙した際に脅威として描かれることが多いように思われます。もちろん、そのような存在と人間の友情を描いた作品も存在しますが、ゲームをはじめとして人類の敵や討伐すべき存在として描写されることが多いのではないでしょうか。「モンスターハンター」シリーズなどは名前からしてこの典型的な例でしょう(私はこの辺のゲームに疎いので実際のゲームと齟齬があれば申し訳ないです)。

 ですが、もしこのような存在でありながら人間を脅かす程の戦力を持たず、理性と恐怖心をもつ存在がいきなり人間の社会に放られたらどうでしょう。人間に素性や正体がばれないようにただただ怯えるのではないでしょうか。もし人間に見つかれば無事では済まないのは言うまでもなく、殺されるかもしれないし、解剖されるかもしれないし、地獄のように苦しい実験につき合わせられ続けるかもしれません。

 もう一つ例を挙げます。「正義のヒーロー」は人々を悪の存在から守るために戦いますよね。正義のヒーローは人々の平和のために戦うのであって決して自分の為ではありません。自己中心的な行動に出ることはありません。

 ですが、正義のヒーローだろうと、人間であれば少なからずどこか自己中心的な側面を持つはずです(人外のヒーローであれば、それはそれで前述の人間の脅威と相反しますが)。時にはヒーローが自己中心的な面やエゴが出る面があっても不思議ではないのではないでしょうか。

 このように、多くの人がある言葉や概念について持っている印象とは異なる演出や展開をしやすいのが自主制作アニメの醍醐味です。そしてもちろん、これは自主制作アニメに留まらず自主制作の創作全般にも言えることですし、なんなら自主制作ではない創作についても同様です。

 

3. 最後に

 今回は前回の記事の第二項について、具体例を挙げて詳しく説明するという内容でした。上にあげた例はほんの一例でしかなく、他の場合も山ほどあります。「朝焼け」「朝日」「夜明け」などの言葉は希望のイメージで取られがちですが、あえて絶望として描き「明けて欲しくない夜も明けてしまう」というような描写をすることもできます。そして、こういう演出や展開があるかどうかを前回の記事で述べた「解釈」によって分析をすることで、また自主制作アニメの見え方が変わってくるのではないでしょうか。